歌人 北久保まりこ
いりの舎 うた新聞
いりの舎 うた新聞
これまで発表してきた、短歌・鑑賞文などを発表します。
『うた新聞』2024年6月号に「読者自薦一首」にご掲載頂きました。
ありがとうございました。
読者自選一首
北久保まりこ
猫として生まれしポレが丸くなる 種のへだたりの曖昧な午後
いりの舎『うた新聞』3月号、エッセイ「短歌トラベラー!」のご依頼を賜り、本日、掲載紙が届いてまいりました。
この度このご企画に参加させていただき、旅についてじっくり振り返るとても良い機会を頂けたことに、感謝しております。
どうもありがとうございました。
今後共、どうぞよろしくお願いいたします。
コロナ後の北欧
北久保まりこ
世界を旅し、和英朗読で短歌を紹介する活動は、突然のコロナ禍により中断を余儀無くされた。十五年目に入り好調の波に乗っていた時期である。生涯を懸けて、貫こうと決めていた仕事だった。しかし、再開の目処は立たず、ただこの地上に生き延びることだけを願って過ごした月日だった。今思うと、遥か昔の出来事のようである。当時は、過去に訪れた五大陸、五十三都市で世話になった文学者達を案じ、無事を祈らぬ日は無かった。
希望がもたらされたのは、スウェ―デンの詩人A・マリス氏から文芸祭に招かれた、二〇二二年の夏である。彼女とは以前英国の文学会議で会い、意気投合した仲だった。
これまで通り、BGM用のパーカッション七つと着物を携え、単身、国境を越えた。露宇情勢下、北極圏航路だった。
湿度が低く、爽やかな七月のストックホルム。雲を幾つか遊ばせた空は広く、小さな島々を抱くバルト海の群青が、歴史ある王国の品位を感じさせた。旅人らしく迷いながら歩いた、十七世紀のままの旧市街が忘れ難い。
中央駅で、ルーマニアからの参加者と落ち合い、一路開催地のトラノスへ。沿線の白樺の森が、南下する車窓を彩っていた。
滞在中一回の公演予定だったが、後日、欧州諸国から到着する聴衆の要望を汲み、再演が決まった。会場は、百人以上入るライヴハウス。久々の企画にかける主催者の意気込みが窺われた。こちらのパフォーマンスにも熱が入り、魂から魂へ、直に思いを伝える媒体となって演じた。ステージを終えると、客席のあちらこちらに涙を拭う姿が見られ、胸が熱くなった。そこには、未知のウイルスの脅威を潜り抜けた人々の、瑞々しく温かな、命のさざめきが満ちていた。
・宇宙から見えぬ地球の国ざかひ 神の視点はいづこにありや
去り際、橅の梢超しに仰いだ空は、子供の頃のように高かった。
『うた新聞』7月号 第136号 読者自選一首のページに掲載されました。
地表より解き放たるる心地良さ
生まれる前のいのちに戻る
いりの舎うた新聞の二月号に、新作五首のご依頼を賜りまして、ありがとうございました。
今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます。
不帰ノ嶮 (かへらずのけん)
風を抱くパラグライダーの陽の密度 人でありしを忘る暫く
上昇気流わづかに捉へ昇りけり雪晴れの気の渓まで透る
ダイヤモンドダストと大気に浮かびゐつ 山祗様にまみえるところ
大天狗下る羽音が空を裂く白馬三山不帰ノ嶮(かへらずのけん)
地表より解き放たるる心地よさ 生まれる前のいのちに戻る
いりの舎様、霜月作品集に新作五首をご依頼くださいまして、ありがとうございました。
かくし神
立夏より立秋愛(かな)し 病弱な母が私を産みたりし秋
勾玉はいのちのかたち縄文の翡翠にやどる姫川の祇
隠し神雲に触れしか 大いなる指紋をのこす秋空の青
アキアカネ肩に休ませ石仏が観音原に頬杖をつく
かくし神あらば守りの神あらむ 山路をてらす良寛の月
『うた新聞』7月号 第112号 読者自選一首のページに掲載されました。
祭礼の土器出でたりし校庭にゆるりとのぼる縄文の月
いりの舎様、長月作品集に新作五首をご依頼くださいまして、ありがとうございました。
Time
解決をするのではない置き去りにする 時といふ容なきもの
生と死のさかひやいづこ サガリバナ数多身捨てし後の川べり
原爆は不要なりきと明かすまで七十余年を要せし理由
社会科の師の明るさとNuclear 宙吊りのままに経し半世紀
凪いでゆく盆の浅瀬を亡母が来ぬオフホワイトの麻のパラソル
『うた新聞』5月号 第98号 読者自選一首のページに 下記の歌をご掲載下さいました。
紀元前よりここに在る石畳
鵲が何か啄んでゐる
いりの舎 『うた新聞』四月号 に 新作五首が掲載になりました。
昇りゆく天とはいづこ乳の実のひとつも椀に探せぬゆふべ
降りやまぬ星の夜にさす傘が欲し キーン先生旅立ちたまふ
九十七の誕生祝ひのはずなりしシャトー・ムルソー お好きでしたね
樽かをるブランデーに放たれて干し無花果に時間がもどる
旧漢字まじる直筆 亡きあとも灯りつづける師のあたたかさ
物心つくかつかぬか あんさつの報道の声意識の底に
モノクロの記憶に故き洋館の匂ひまじりぬ宇宙中継
不穏なる空気淀みしあの日より速まりたるや 滅びの時計
衝撃が家中を駆け抜けた。たった四歳一か月だった私が、それを鮮明に記憶していたのはなぜだろう。東京、目黒の祐天寺にあった父方の実家で、そのニュースを観た。
私は陰鬱な暗さと厳めしさから、玄関脇のその応接間が嫌いだった。アナウンサーの硬い声に、大人達が一斉に息をのみ、私は幼心に、何か不吉な出来事が勃発したと悟ったのだった。
私の中であの場所は、今も湿った匂いを放ち、時代の節目をかかえたまま蹲っている。
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