透明な碧(あを)をもつとも好みゐつ原子炉内に視らるるまでは 懐かしき空と海とがとほくなる チェレンコフ光の底知れぬ青 食はざれば生きられぬ世を生かさるるわれらに何を試し賜ふや 夢などを語りし日あり 今はもう亡いかもしれぬベテルギウスよ 宙(そら)からの石の落下を防ぐ術もたずわれらも太古の竜も 復活祭 Hump・ty-Dump・ty くり返すヒトが負ふべき十字架のもと 恒星が沈黙をする 神神の油時計のさいごのしづく
|
|
火の中に笑ふ顔見き悪神か亡母か己かさだかならねど こころ病む人を想へばわがうちに育ち始めぬ角もつ子馬 躁鬱の大き振り子の空色を観てしまひたり君の吊り床(hammock) 癒されし瞳の藍に映りしは女神に非ず ただ女なり しばらくをならぶ楓でをりませう愛ゆゑ互ひを危めぬやうに このおもき一生(ひとよ)なげうつためなるや夜に入り滝のいきほふばかり 隠り世の使ひなるらむゆふらりと子馬に翼さづけに降りる
|
|
越南の少女は笑めり「洗骨の習はしがまだのこつてゐます」 山祇(やまつみ)に見守られをり 柔らかき地に眠りゐし骨を洗ふ手 幾重にもひかり奏でし水の紋 生死はゆるゆるまぎれゆくなり 煩悩を脱ぎ去る順を待ちゐるや骨たちは死の後を生きつつ 燐の火の隠れしあたり姫菱が小さき刺もつ果実を結ぶ 亡母を思へば肺のあひだの暗がりにみちて来りぬ水のあかりは 月光にたつ虹淡しわたくしに降り止まざりき洗骨の文字
|
|
木より生与へられゐてわれも生木に与へたりセコイアの森
この森を危めたくなし明け方の霧のわく音木のねむる音 露まとひ鎮もる下枝ひんやりと三千年の巨木は立ちぬ 頂から吹き下ろす風 赤杉の神がゆるゆる眼ひらくや その瀬音幹にかそけし逆らはず争ひもせぬ千の年月 細胞の内に緑雨の気は充ちぬ仙女になりてしまひたくなる 潤へる樹樹の時間をありがたうカタバミの花供へて帰る
|
|
山の靄にひたりしわれは樹となりて立てり はるけき水鹿の声 われの手も足も小さくなり果てぬ竜のうろこの跡を追ひきて 微睡みの中に食むごと蓮霧(リェンム)なる果実はゆるき甘さをのこす 昼の渓夜より深しとろとろとかじかねむるか明るむあたり 水滴の水面にふれて交ざり合ひ川としてゆくこれより先は 水鹿の耳にて聴かむこれまでにききしものの音ぬぐへる瀑布 丹田に長く仕舞ひてゐしことも放たむか ゆるる青柳の枝 七十年前の少女も笑みゐたりタイヤル族のヤン婆の眼に (タイヤル族:機織技術に優れた台湾原住の人々)
|
|
熊蝉と沢の蛙の住む処 だれもわたしを知らないところ からまりし金糸ほどけぬ二万キロの星座空間メールにうめつ くり返し悲しき夢をみぬやうに紅色匂玉(べにいろまがたま) 手首に下げる 雨の浜も悪くはないね真黒なラブラドオルに耳うちをする 柚子の皮すりおろされて香りたつわたしもこんな風ならいいな 右足の爪先ばかりつまづくはたぶん左と気まづいからか 脱走を遂げし男よ押しかへす風よりも沖の光のやうだ 皿洗ふ音聞きながら皿洗ふもう割らないわもうをはらない
|
|
住み着いてしまひたくなるこの森に雨しみとほりまた朝がくる 雨を呼び雨に応ふるものの声わたしのなかに居るもう一人 すがた無き琴鳥が鳴くステテシマヘステテシマヘヨヒトノヨナンカ 少しづつ育ちゆくものわがうちに回転をする光をはなつ その傷のふかさは知らぬままでよい しづかに問ひぬ角砂糖の数 見下ろせど落ちゆく先の視えぬ滝 何の実の毒かわれにまはりし ゴンドワナ大陸なりしころの風おもはせて響く祖(おや)たちの笛 わが殻を破りてゆかむもう一度生まれてごらんと声がきこえる
|
|
狂人のわれに会ひたる夢のあと音たてて洗ふ若布ひとかぶ 水槽のみづは黙せり疲れたる脳(なづき)よりひとつ泡ののぼり来 山道に耳を澄ますに夜の杉は乳白色の霊を吐きゐる 星星へむかふ蛍よ手のうちの死者のたましひをはこびゆくのか 冥府へも通じるらしも大き蛾を引き寄せてゐる電話ぼつくす 気付かずに蚊柱に入ることなども死すれば現(うつつ)の思ひ出ならむ 若き日の母を思ひき爪紅(つまべに)のむらさきひとつ手の平にのせ 郭公のことば知らねど亡き母の宿るがに鳴く落葉松林
|
|
鳥の眼の高さ愉しもとこまでもゆるされし天おほらかなりき まなしたの緑さわぎて鳥たちぬ生命の水を光らせながら 樹皮に耳をあてて聴きしはとほき日の記憶か母のせせらぎに似て 母の老いて追憶の霧に憩ふことおほくなりたりあをき火のもゆ ゆれる海ゆれる思ひに立ちつくす引き返せない いのちまるごと 夕刻はその道に誰かゐる気配 二月の雨のなまあたたかし をさな子の声を聞きしか空耳は木漏れ陽をすこし悲しくさせる さんざめくこずゑの水よ影までも光ふふめる命いとほし
|
|
歌集『谷汲』より
生きてあらば二十七歳その母に言はんとぞして口を噤みぬ
(夏・哀傷 澄高禅童子二十年忌より)
長男・高志の二十年忌に詠まれた歌である。幼いわが子に先立たれた心情は、察するに余りある。時を経ても 癒されぬ喪失感が、作品から滲んで止まない。
親族や近しい人たちを、相次いで亡くした修にとって、高志の誕生は、闇に差す光そのものであっただろう。しかしその新しい命までも、たった数年で奪われるという悲運に、見舞われてしまったのである。
毎年命日が巡る度に、修と「その母」は、あの夏の日へと引き戻される。二人は、現実の日々を生きながら、もう一つの、二十年前に止まってしまった時間を、抱えているのである。そして、「生きてあらば」と、その歳の頃を思い、青年になっているはずの子の姿を、霞のようにみるのであった。死者と生者の間に横たわる、混沌とした時を通して、無限の奥行を感じさせる作品である。
修は、「その母」に言いかけたうわ言のようなことばに「口を噤み」、止まった時の振り子の前に蹲っている。そしていつしか、一読者である私も、その動かぬ時を共有していることに、気付かされたのであった。