歌人 北久保まりこ
鑑賞文・その他
鑑賞文・その他
これまで発表してきた、短歌・鑑賞文などを発表します。
「40代歌人による40代の茂吉 一首鑑賞」
友とともに飯に生卵をかけて食ひそののち清き川原に黙す
(『遍歴』より)
茂吉がドイツに留学して二年目の作品である。この背景には、父の他界と関東大震災という、突然の相次ぐ悲報があった。
「飯に生卵かけて食う」という独特の食文化が、単なる郷愁以上の、深い切なさを感じさせる。そして結句の「黙す」から、やり場の無い重苦しさと、語り合ってもどうにもならぬ、という諦念が伝わってくる。
この歌が詠まれた大正十二年、母国とドイツとを隔てていた感覚的な距離は、今とは比較にならぬほど遠かったであろう。
そして懐かしい味覚は、幼い頃に慣れ親しんだ風景や、面差しをも思いおこさせる。
後には、ただ祈ることしかできなかった茂吉の無力感が、粉雪のように降るばかりであった。
未知の食材に出会う、というのも旅の楽しみのひとつである。
アフリカ大陸の東岸のほぼ中央に位置する国、タンザニア。私は知人のつてでこの国に旅して以来、その魅力に取り憑かれ、翌年に再び訪れたのだった。
農村の民家に滞在するという日程は、ごく普通の観光旅行として赴いた一度目とはわけが違った。旅立つ前に「何を出されても、恐れずに口に運ぼう。さもないと極東からの珍しい来訪者に対して、給仕してくれる現地の友に失礼になる」と自分に言い聞かせた。そして、心のなかで「頼むから虫だけは勘弁して下さい」と祈りながら飛行機に乗った。
今回の私の滞在地であるルカニという村は、キリマンジャロの麓にあった。首都ダルエスサラームから、バスとトラックの荷台を乗り継いで延々と赤土の悪路をゆく。始めのうちは荷台で弾みながら笑っていた仲間が、弾みすぎて眠くなるころ、バナナやアボガドの樹が多く見られる村に到着した。朝晩は羽織るものが必要な爽やかな高原の気候だった。
カウラという気立ての良い黒人女性が、滞在中の食事の世話をしてくれた。私は翌朝から彼女を手伝いたいと台所に立ったが、出国前の心配は全く不要であった。虫どころか、あまりに美味しくて驚いてしまったほどだ。主食は、玉蜀黍の粉から作るウガリという餅のようなもので、トマトシチューをつけて頂く。また、クミン、シナモン、カルダモンなどの香辛料をふんだんに使って、肉や野菜とともに炊き込むピラウはご馳走として格別であった。
料理法もさることながら、野菜が本来の甘味や旨味を十分に備えていることが大切なのではないだろうか。日本でも手に入れたいと思ったのは、ムチーチャという青菜だ。明日葉とほうれん草の間のような味が忘れられない。
何とも食い意地の張った旅行者で恥ずかしいが、是非また訪れて新しい食の発見をしたいものである。
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