歌人 北久保まりこ
メディア掲載
故菱川先生(文芸評論家・元北海学園大学教授)と。ながらみ書房 パーティ会場にて。
おだやかに灰は降りつづく廃村に叫びのごときしづけさの照る <広川隆一写真展「チェルノブイリ・核の傷跡」によせて>の詞書があるように、「廃村」は、死の灰の降りつづくチェルノブイリ。その静寂を「叫びのごときしづけさ」ととらえた感覚が鋭い。悲鳴のこもった「しづけさ」は、言葉以上に人の心を撃つからだ。
セシウムやストロンチウムを含有せし乳房かなしもをさな児を抱く
大気中にたまった「セシウム」や「ストロンチウム」が灰とともに振りつづけ、体内で放射線を出して白血病の原因となるけれど、写真は、その危険な物質を「含有」した「乳房」をとらえているのだろう。「ガンユウ」という硬い言葉の響きが、引き返すことのできない運命の重さを感じさせる。こういう悲劇的な核の時代に生きているから、逆に神話的な世界のゆたかさを思わずにはいられない。
天空よりみずをみちびくindra(インドラ)の爪先はときにいなびかりする
「インドラ」は、インドのベーダ聖典に現れる雷霆神(らいていしん)。武勇の神として悪魔プリトラを退治し、人間界に水をもたらす神として知られている。稲妻を、そのインドラの「爪先」の光と見ているのだが、インドラのもたらす水は、はたして「廃村」にも生命を復活させることができるのだろうか。
「ウィルWILL」(二〇〇五年 角川書店)。一九五九年東京生まれ。東京都三鷹市在住。
2005年05月07日(土)
つつやかな野生馬の背より立ちのぼる体熱 われは君へ倒れる
馬の美しさは背すじにあるが、ここに描かれているのは「野生馬」。その野生馬の背から立ちのぼる「体熱」を、みずからの体熱として感じとっているのがこの歌。あえて「野生馬」をもってきたのは、作者の根底に人為を拒否する反文明の思想がひそんでいるからであろう。その野生馬の体熱もろとも、「君へ倒れる」愛の表現にも、力へのあこがれが息づいている。
出所せし男は川を抱くように吾を抱きしまま眠りにおちぬ
体熱をあずけた君が、「出所せし男」というのも、歌の世界では異例といっていい。刑期を終えて刑務所を出た男を登場させているのも、法的な規制の外に夢を求める精神があってのこと。ここで女は「川」の役割を果たしているが、ここにも川の浄化力への信頼が生きている。
こういう作者が、アフリカの大地にひきつけられるのは、きわめて自然なことだ。
悪霊か神かマサイの美少年 つややかなからだは絹の光沢
マサイ族はわたしの螺旋にはいりこみ跳躍しながら朱い輪となる
「マサイの美少年」を「絹の光沢」とたたえ、彼らの踊りは、「朱(あか)い輪」となって、「わたしの螺旋(らせん)」を回りつづける。生命の輝きと無限運動。新しい音楽が始まったのだ。
「音楽がおわる時」(二〇〇二年、ながらみ書房)。一九五九年東京生まれ。東京在住。
2002年10月27日(日)
前のページへ
- 次のページへ