歌人 北久保まりこ
メディア掲載
つつやかな野生馬の背より立ちのぼる体熱 われは君へ倒れる
馬の美しさは背すじにあるが、ここに描かれているのは「野生馬」。その野生馬の背から立ちのぼる「体熱」を、みずからの体熱として感じとっているのがこの歌。あえて「野生馬」をもってきたのは、作者の根底に人為を拒否する反文明の思想がひそんでいるからであろう。その野生馬の体熱もろとも、「君へ倒れる」愛の表現にも、力へのあこがれが息づいている。
出所せし男は川を抱くように吾を抱きしまま眠りにおちぬ
体熱をあずけた君が、「出所せし男」というのも、歌の世界では異例といっていい。刑期を終えて刑務所を出た男を登場させているのも、法的な規制の外に夢を求める精神があってのこと。ここで女は「川」の役割を果たしているが、ここにも川の浄化力への信頼が生きている。
こういう作者が、アフリカの大地にひきつけられるのは、きわめて自然なことだ。
悪霊か神かマサイの美少年 つややかなからだは絹の光沢
マサイ族はわたしの螺旋にはいりこみ跳躍しながら朱い輪となる
「マサイの美少年」を「絹の光沢」とたたえ、彼らの踊りは、「朱(あか)い輪」となって、「わたしの螺旋(らせん)」を回りつづける。生命の輝きと無限運動。新しい音楽が始まったのだ。
「音楽がおわる時」(二〇〇二年、ながらみ書房)。一九五九年東京生まれ。東京在住。
2002年10月27日(日)
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