歌人 北久保まりこ
メディア掲載
広島花幻忌の会「春の碑前祭」に参加して
北久保 まりこ
脱原発社会を目指す文学者の会会員の天瀬裕康氏から初めてご連絡を頂いたのは、昨年の師走でした。拙いながら会報に寄稿致しました私の短歌連作をお読みになり、ご自身の歌集を送りたいと言って頂いたのがきっかけでした。被爆者の鋭く熱い眼差しとともに、医学博士としての冷静な側面も垣間見られるお歌の数々に胸をうたれながら、歌集『時は流れ往けど』を一気に拝読致しました。
これまでは、国外の作家や歌人ら、また広島原爆の図・丸木美術館で朗読してきました私の歌群を、いつの日にか、広島でもお聴き頂きたいという気持ちをお伝えしたところ、原民喜の命日に例年行っおられる「花幻忌の会 春の碑前祭」に参加してはどうか、と提案して下さいました。
以下、会についての詳細を、冊子「広島花幻忌の会」より抜粋致します。
~会は、原民喜が亡くなった翌一九五二年、彼と親交の深かった遠藤周作、大久保房男らが中心となり、命日の三月十三日に集いを開いて民喜を偲ぶ東京での「花幻忌会」が誕生しました。三十三回忌に当たる一九八三年には東京のメンバーが来広。故郷広島での集いが実現しました。これらの流れは広島在住の親族や民喜ゆかりとの人々に引き継がれ、没後五十周年を前にした二千年九月「広島花幻忌の会」の結成に繋がりました。以来今日に至るまで、「広島花幻忌の会」は東京「花幻忌会」との連携を保ちながら様々な継承・啓蒙・研究活動を続けています。~
本年三月十一日(日)のプログラムは、京橋川河川縁の被爆柳のもとで行われました第一部と、コミュニティアカデミー上幟で行われました第二部の二部構成でした。
第一部(被爆柳前にて)13:30~
●開会の言葉
長津功三良氏(広島花幻忌の会事務局長)
●挨拶
岡部喜久雄氏(上幟町北町内会長)
縫部高志氏(橋本町上町内会長)
●被爆柳案内板 説明 テープカット
原時彦氏(原民喜の甥・著作権継承者)
ウルシュラ・スティチェック氏(広島大学非常勤講師)
●献花・黙祷
●朗読
幟町学区中・高・専門学校の生徒・学生の皆さん
●合唱「永遠のみどり」
広島市立幟町小学校合唱部の皆さん
記念撮影
第二部(コミュニティアカデミー上幟にて)~16:00
【原民喜を語る】
1)被爆柳をめぐって
原時彦氏
2)民喜の詩と自作短歌朗読・語り
北久保まりこ
3)原民喜と短詩型文芸
天瀬裕康氏
朗読致しました民喜の詩「家なき子のクリスマス」を引用致します。
主よ、あわれみ給へ 家なき子のクリスマスを
今 家のない子はもはや明日も家は無いでせう そして
今 家のある子らも明日は家なき子となるでせう
あわれな愚かなわれらは身と自らを破滅に導き
破滅の一歩手前で立ちどまることを知りません
明日 ふたたび火は空より降りそそぎ
明日 ふたたび人は灼かれて死ぬでせう
いづこの国も いづこの都市も ことごとく滅びるまで
悲惨はつづき繰り返すでせう
あはれみ給へ あはれみ給へ 破滅近き日の
その兆しに満ち満てるクリスマスの夜のおもひを
左記は、反戦平和を願う旧連作と共に朗読致しました自作新連作「広島花幻忌によせて」の一部です。
・雪の声樹木の声の有るらしも死びとの声とならむ花幻忌
・血の叫び声にせんとて立ち上がるわれを許し賜ふや民喜
・地に沁みしに吸はれし苦しみを昇らしめんと心をひらく
・民喜の詩引き受くる力あるかなどかけし後も判らぬ
・心して挑まむ元よりもてるものすべてをかけて広島 碑前祭
反核反戦への願いをたゆまず形にして来られた会の皆様と、深い祈りの時間を共に過ごさせて頂きましたことに、心より感謝致します。
最後になりましたが、被爆柳を前に広島市立幟町小学校合唱部の皆さんが澄んだ歌声で合唱されました「永遠のみどり」を引用し、今回の参加のご報告とさせて頂きます。
「永遠のみどり」作詞 原民喜 作曲 尾上和彦
ヒロシマのデルタに
若葉うづまけ
死と焔の記憶に
よき祈よ こもれ
とはのみどりを
とはのみどりを
ヒロシマのデルタに
青葉したたれ
会報の掲載ページ抜粋
(クリックすると大きな画像でご覧になれます)
2018年08月09日(木)
「脱原発社会を目指す文学者の会」でご一緒の、広島在住の被爆者、文学者、医師でもある天瀬裕康氏 編著による混成詩集「核と今」に、私の短歌を転載して頂きました。
これら三首は、今年三月に参加致しました原民喜忌「花幻忌の会 春の碑前祭」によせて作りましたものです。
2018年08月04日(土)
中部日本歌人会会報 第84号にお知らせが掲載になりました。
中部日本歌人会さま ありがとうございました。
11月3日 14時~約90分 朗読&トークを、持参する民族楽器 数種類をBGMに、お楽しみ頂けましたらと思います。
海外及び国際イベントでの和英短歌朗読150回をむかえ、国内でも少しずつお聞き頂く機会をつくっていかれましたら、と存じます。
2018年08月03日(金)
この度 飯塚書店より出版されました『誰にも聞けない短歌の技法 Q&A』(日本短歌総研編著)に、私の第六歌集『INDIGO』より、ベトナムを独り旅した折に詠みました歌が掲載されました。
*流されず過去はしづみぬ 天の川涅槃のやうに映せるメコン
編者の皆様に、心より御礼申し上げます。
どうもありがとうございました。
下の画像をクリックすると大きな画面でお読みになれます。
2018年05月28日(月)
月刊『致知』2018年4月号にインタビュー記事が掲載されました。
お書きくださいました担当者様に感謝申し上げます。
========================================
短歌の魅力を全世界に伝えたい
北久保まりこ
========================================
いまから二十五年ほど前に、三十代で短歌の勉強を始めた私が、現在歌人・短歌朗読パフォーマーとして世界を駆け回っていると思うと、人生の巡り合わせの不思議さを思わずにはいられません。おかげさまで今日まで三十四都市で百四十五回朗読パフォーマンスを行い、創作した短歌は約八千首。
作歌のきっかけは幼い頃に生き別れた父に、我が子の誕生を連絡しようと思ったことが始まりでした。しかし、調べると父は私が高校生の時に既に亡くなっており、感謝や謝罪を直接伝えることは叶わず、そうした行き場を失った感情の表現として辿り着いたのが短歌だったのです。
短歌はたった三十一文字の世界で、多くのことは伝えられません。しかし、どこでも書きとめられるため家庭や子育てとの両立はしやすく、私にとって短歌と生活は一体でした。
「思い出になってしまつた少年のソプラノ星の神話のやうに」
声変わりをしていく息子の成長を詠んだ歌です。子育ての悩みや喜びなどその時々の思いを歌にすることで、心がすーっと楽になりました。
一方、短歌にはスポーツや勉強のようにこうすればうまくなるという解答がないので、上達するには多くの作品に触れ、自分で学ぶしかありません。幸い、私は恩師である佐佐木幸綱先生に出逢え、数々の薫陶を受けました。百十余年以上の歴史を持つ短歌結社「心の花」を主宰されている方で、その作品には男性らしい力強さがあります。作風自体を真似るというよりも、作品から受けるエネルギーや感性がとても勉強になりました。
二〇〇二年には短歌を学ぶ仲間からマラソンリーディングという短歌朗読イベントに誘っていただき、作歌から朗読まで、ますます活動にのめり込んでいきました。
ところがその翌年に母が急逝。親族の多くが既に亡くなっていた上、私も一人っ子であり、この気持ちを共有できる人が周りにいなかったため、深い悲しみの中に落ちていきました。
そんな私を支えたのは短歌でした。歌に念いを表現すると、子育ての時と同様、奥底にあった悲しみや悩みが短歌に移り、心が軽くなるような感覚がありました。その時につくった歌を紹介します。
「青空の青が遠くにあるやうな救命救急外来に待つ」
「ああ母と話がしたい話すといふほどのことなどないのだけれど」
母の死後、過労やショックから一時的に味覚障害になったこともありましたが、呼吸をするが如く短歌を書き続けたことで、薬を飲むことなく味覚障害を完治させ、私自身も気力を取り戻すことができました。短歌には人の心も体も癒やす力があるのだと身を以て学んだ出来事です。
母への思いを綴った短歌をまとめた歌集『WILL』を発行すると、それに共鳴したオーストラリアの作家が二〇〇五年に英訳して下さり、彼女の出版記念会に招かれ初めて海外で短歌朗読を行いました。親の死に対する思いは国境を越えて伝わるのでしょう。同じ体験をされた方から数々の共感が寄せられました。
また、その時に五七五の韻律を体感することなく短歌を学ぶ外国人が大勢いることを知り、一人でも多くの人に短歌の魅力を伝えたいと、和英による朗読活動を開始しました。当時、国外でこうした活動を行う日本人は皆無だったため、すべて手探りでした。
英語はある程度できたものの、言語の壁には非常に苦労しました。同じ英語でもアメリカ英語とイギリス英語もあれば、地方によって訛りもある。私の目的は短歌を通じて、そこに込められた感情のうねりを伝えること。ですから、郷に入っては郷に従い、その地域の方々に最も伝わりやすい表現で朗読するよう心掛けてきました。
他にも壁はありました。一昨年のことです。アフリカのある大学で短歌朗読を行う予定でしたが、現地に着くとイベントの中止を知らされました。せっかくアフリカまで来たのだから何か道はないかと模索した結果、偶然、二人の教授とご縁をいただき、彼らの授業で二度も朗読する機会をいただけたのです。
本来であれば一度限りで、何名参加するかも分からないイベントでしたが、諦めずに行動したことで大勢の学生の前で二度朗読する機会に繫がりました。困難がある度に「一見不運に思われることでも、後に大きな幸運に発展することがあるので、諦めてはいけない」と痛感しています。
朗読の魅力は何と言っても、短歌に込められた感情が会場全体に伝わり、魂と魂が揺さぶられ合うような交流があることです。短歌を引き立たせるためにも、雨を彷彿させる音を出すレインスティックや美しい音色を奏でる鉄の打楽器・波紋音などの珍しい楽器を使用し、短歌の世界観を伝えています。おかげさまで「言語が分からなくても心が震えるほど感動した」といった声をいただいています。
作歌や朗読パフォーマンスは、来世もこの続きをやらせていただきたいと願うほどやりがいのある仕事です。人間の一生は短歌の歴史に比べると遙かに短いため、活動ができる限り一人でも多くの人に短歌の魅力を広めたい。
私は短歌のお蔭で、大きな病気になることなく、感情にも振り回されずに生活してこられました。これからは短歌に支えてもらった恩返しができるよう、一層活動に魂を込めて邁進したいと思います。
(きたくぼ・まりこ=歌人・短歌朗読パフォーマー)
========================================
月間『致知』のウェブサイトはこちら。
https://www.chichi.co.jp/
2018年03月01日(木)
下の画像をクリックいただきますと、大きく、より鮮明にご覧になれます。
月刊情報誌WENDYは下記URLからもご覧になれます。
https://www.wendy-net.com/wendy/original/index.html
2018年02月15日(木)
この度TSA Member’s Anyhology2017 に、英文短歌二首をご掲載頂きました。
多くの会員応募作品の中から、二作品をお選び頂きましたことを深く感謝 致します。
殊に今回の作品は短歌という短詩文学の形式をとりながらも、個人的な問題に止まらず、世界平和に焦点を絞ったものであり、その点を選者のお二人Ms.Margaret Dornaus、Mr.David Terelinck 両氏にご理解ご享受頂けました点も私にとりまして大変大きな喜びにつながりました。
心より御礼申し上げます。
more than
70 years ago--
the blood
of my parents
of my grandparents
(亡父母ら亡祖父母らの流したる血潮の後の七十余年)
dark fog
is crawling near
my ankles
Hiroshima, Nagasaki,
Fukushima and . . .
(地を這ひし霧足首に絡みつく 広島、長崎、福島のあと・・・)
( )内、和文はAnthologyに含まれてはおりません。
2017年11月27日(月)
脱原発社会を目指す文学者の会会報11号2017年11月の7~8ページに、今夏のひろしま忌出演に関する記事が掲載されました。
下の画像をクリックすると、大きな画面で鮮明に表示されます。是非お読みください。
2017年11月22日(水)
日本国内のみならず大きく揺れ動く時代ではございますが、本日の日経新聞文化欄に 私の活動に対するインタビュー記事が掲載になりました。
これまで 何のご縁もありませんでしたにも関わらず、私の小さな一歩ずつに目をとめてくださいました日経新聞文化欄 担当の皆様、また直接取材して下さいました干場様に心より御礼申し上げます。
ありがとうございました。
2017年10月02日(月)
Colorado Boulevard.netのPoetry Corner のテーマ『Protesting Our Enviroment』に私の英短歌が2首掲載になりました。
2017年07月20日(木)