歌人 北久保まりこ
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脱原発社会を目指す文学者の会 会報に掲載されました
先日、日本PENクラブ 環境委員会で赴いた福島の報告記事が脱原発社会を目指す文学者の会会報に掲載されました。
『フクシマ Fukushima』
北久保まりこ
八年を遡るごと北上すかつては賑はひたりし村村
もともとは田んぼでしたと指をさす野つ原、灌木、風花ひとつ
ひとひらの風花だけが生きてゐるあれから割れたまんまのガラス
高線量示せる値アライグマ出没注意のわきに灯りぬ
帰還困難解除されたり目に見えぬ悪神棲むや大熊町に
観る人の亡き桜咲き桜散る富岡町の夜の森公園
アンパンマン、機関車トーマス、原子力二歳の声は朗らかなりき
麗しき言の葉のみを遺したし金の産毛の光れる耳に
山の端をのぼる朝霧うつしみの婆も閑かに消えなましものを
お蜜柑とのぞみ号背負つて帰りゆく小さき足跡のこす雪道
福島へは、事故後の2012年に現代歌人協会員として訪れて以来だった。
バスが北上するにつれ、道端に表示されるオレンジ色の線量値が上がっていく。人間とは情けないものだ。初めは驚いて視ていた数字に段々と驚かなくなって、窓際に座っているもう一人の自分がいた。
野生動物への注意を呼び掛ける看板が目に入る。アライグマだ。何だか長閑な感じのその脇に、橙色がまた灯る。
「元々は田んぼだったんです。」指差された先は茫漠とした荒野だった。
富岡町の夜の森公園には、今でも春ごとに見事な桜が咲くそうである。観る人もいない桜が、泣くように風に散る姿を思ったら、私まで泣きたくなった。
これまで私は、年老いたら山の端を音もなく昇ってゆく朝霧のように、消えるように居なくなりたい、などと漠然と思っていた。しかし、子や孫にこんな環境を遺して逝くのは、あまりにも無責任である。
原民喜は、自死する前年(1950年)暮れに、詩「家なき子のクリスマス」の中で、愚かしい人類の行く末をすでに予見していた。
二歳になった孫が、覚えたての言葉を嬉しそうに言う。私達や親達の世代にも、こんな幼い頃があったのだ。
ただかつては、思い描く未来の地平に核の脅威は無かったはずだ。
会報の掲載ページ抜粋