歌人 北久保まりこ
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短歌現代(短歌新聞社)2006年3月号 特集・斉藤茂吉を受け継ぐために
「40代歌人による40代の茂吉 一首鑑賞」
友とともに飯に生卵をかけて食ひそののち清き川原に黙す
(『遍歴』より)
茂吉がドイツに留学して二年目の作品である。この背景には、父の他界と関東大震災という、突然の相次ぐ悲報があった。
「飯に生卵かけて食う」という独特の食文化が、単なる郷愁以上の、深い切なさを感じさせる。そして結句の「黙す」から、やり場の無い重苦しさと、語り合ってもどうにもならぬ、という諦念が伝わってくる。
この歌が詠まれた大正十二年、母国とドイツとを隔てていた感覚的な距離は、今とは比較にならぬほど遠かったであろう。
そして懐かしい味覚は、幼い頃に慣れ親しんだ風景や、面差しをも思いおこさせる。
後には、ただ祈ることしかできなかった茂吉の無力感が、粉雪のように降るばかりであった。