歌人 北久保まりこ
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短歌研究(2024年2月号)書評 三十一文字のアリア
短歌研究社様より書評のご依頼を賜り、『短歌研究』2月号にご掲載頂きました。
歌集『さらさらと永久』書評 三十一文字のアリア
北久保まりこ
『さらさらと永久』は「玲瓏」編集委員「短歌人」同人、山科真白の第二歌集である。
地球全土が未知の感染症に見舞われ、各地で夥しい数の死者がでた悪夢のような一時代が過ぎた。これはその間の作品をまとめた一冊である。出口の見えぬトンネルに置き去りにされた人間の孤独を、独自の感性で紡がれた独唱曲(アリア)のような歌で表現している。筆者も同時期に英語の連作集を編んだので、著者の心持ちを身近なものとして捉えることができた。
・せつなからこぼれた雪のやうにほら、とても綺麗で儚くて、今
・おづおづと差し出す櫂の手触りを彼岸に残しわたしはひとり
・シーソーの片方だけが地に付いてだあれもゐない午後の公園
・しよぼくれたわたしの影の不格好 つまりあなたがゐない世界だ
個性的な言葉選びによって展開される物語に、読者を引き込み手放さぬ詠力に長けている。
灯された生(せい)の火が、いつ消されてもおかしくないと日に幾度も過るとき、人は目に見えぬ大いなるものの在り処を求めるのかもしれない。
・人を待つ駅に立夏の風生まれ頬こそばゆく神は過ぎたり
・隠喩なら銀色の釘 ゆつくりと息を捨てつつ近づくピエタ
やや直接的にうたわれている作品も、引いておきたい。
・虫干しの喪服の紋の鶴が哭く密接不離に棺は並びて
作者はあとがきに当時の心情を、「心のカンバスは喪失という絵の具によって、あっという間に厚く塗りつぶされ」た、と吐露している。
そうだ、私達はこうして、日々人の死に際を目の当たりにしながら、あの時空を生き延びた。
・自死終へた人の生きざまちらつきて息をのむほど美しい月
・「ありがたう」日本で一番美しい言葉をあなたに言へてよかつた
喪われゆく命を見つめながらも、作者の領域の輪郭は、常にゆるぎなく保たれている。
短歌には、詠む者から負の感情を解き放つ力があると、以前から感じていた。それは、この度のような未曽有の危機にあってでさえ、損なわれることなく私どもを支え続けた幽かな、しかし確かな光であったろう。
闇の時間を、這うようにして乗り越えた者の一人として、歳月を経て回想とともに、また読み返したい歌集である。